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はじめて
酒蔵
当ホームぺージは、生そば・そばつゆ専門店「大平庵(たいへいあん)」の
紹 介と、当社がこだわり続けている、生そばと生のそばつゆを多くの方がたに知ってもらいたく、作ったものです。生そばは生きています。生そばを愛し、生そばを育ててゆきたい。このぺージをご覧になっている生そば好きの貴方のために、生そば・生のそばつゆの奥義を極めたい。「大平庵」の願いです。

   ①生そば・そばつゆ専門店「大平庵」屋号の由来の巻
 大平庵(たいへいあん)は、もともと明治元年(1868)創業の造り酒屋でした。当時は、木下(きのした)酒造といい、「大平(たいへい)」という銘柄の日本酒を造っていました。「大平」という銘柄の由来は、江戸時代までさかのぼります。
江戸時代の木下家は、今の佐賀県多久市の東部地域の大庄屋(おおじょうや 村の世話役)を代々勤めていました。その当主の名が、「平兵衛(へいべい)」「平九郎(へいくろう)」というように、代々「平(へい)」の字が使われ、村人から「大庄屋の平○○さん」と呼ばれていたことから、「大庄屋」の「大(おお)」と「平○○さん」の「平(へい)」の字を合わせて、銘柄は「大平(たいへい)」と定められました。
昭和40年代になり、業務形態が「お酒づくり」から「生そばづくり」に変わってからも、この「大平」という名をそのまま継承し、屋号を「大平庵(たいへいあん)」としました。


 ②「日本酒づくり」から「生そばづくり」への巻
  約100年続いてきた造り酒屋でしたが、時代の流れからか、日本酒づくりもなかなか昔のようにはいかない風潮(ふうちょう)になってきました。良い酒をつくっても、大手に押されたりで、思うようにいかず、混沌(こんとん)とした時間が長く続きました。
日本酒は「百薬の長(ひゃくやくのちょう)」といわれるように、適切な飲み方は、体に良いものとされてきました。そして、日本酒を飲む店は、昔は決まって「そば屋」でした。そばも体に良い健康食。そば屋で酒を飲み、最後はそばで締めるのが、江戸時代からの庶民の慣わしだったのです。

 ここに注目したのが、大平庵を創った、東京出身の故・木下治夫(先代社長)です。そば文化の東京から、うどん文化の九州へ婿養子として来てより、酒造り一筋に励んできた木下でした。しかし、そば主流の江戸っ子が、いつも思うことは、「うまい酒はあるんだが、うまいそばがない。うまいそばが食べたい。うまいそばを食べさせてくれる店はないのか。」でした。もともと社長の実家がそばを営んでいたこともあり、その思いは、日に日に強くなっていったそうです。そして、「佐賀にないのなら、俺が作ろう」。大平庵の誕生です。

 ③「酒造り」の技術と経験を「生そば作り」に活かすの巻
「うまいそばを作るのはいいが、どうせやるなら、他人には出来ない、自分にしか出来ないそば作りをしよう!」
木下が目指したのは、自分自身に染み付いている、100年近い伝統のある酒造りの技法と経験を、「生そば」作りに活かすことでした。
ただし、木下酒造は、造り酒屋としての歴史にピリオドが打たれました。先祖代々培ってきた酒造りの技術と酒造りの道具。「ご先祖様の恩恵に報いるためにも、酒造りの独自の技術で仕上がった生そばを酒造り時代に使っていた「酒蔵(さかぐら)」の中で、お客さんに食べてもらいたい。」という気持ちが、木下の心にありました。木下酒造の酒造りの技術と経験は、そのまま生そばづくりに注がれ、酒造り道具は大切に保管され、肥前(ひぜん)の酒造り道具の博物館に陳列されています。
 何年もそば作り・そばつゆ作りの試行錯誤を重ね、ようやく土台が完成。しかし、木下は、それで満足することなく、毎日毎日、納得するまで仕事に打ち込んだのです。大平庵は、おかげ様で、年間約10万人を越えるお客様が来店する店となりました。

 ④「生」にこだわるの巻
 木下のこだわりは、「生」の一文字。その気持ちと技術は現社長武田に受け継がれています。造り酒屋の時代、絞りたての生酒の味わいの何と素晴らしいこと。そばも同様、打ち立ての、生のそばの味。生のそばつゆの奥ゆかしさ。これこそが、当社の真髄です。